死ぬ時にひとりは嫌だ、そう呟いたのは誰だっただろう。 自分は確か、臆病者だとどこからともなく飛ぶ野次に合わせて、声を上げて笑ったのだ。 一面の白。 ぬかるんだ地を疲れた軍靴が踏みしめる。 直ぐ目の前を進む仲間の背はきっと、腕を持ち上げて指先を伸ばせば直ぐそこにあるのだろう。けれど、視界を覆い尽くそうとする濃霧のせいで自分の足元はおぼつかず、爪先の裂けた革靴すらも朧げな中では何もかもが曖昧だった。 (死んでしまう) ぽつりと、胸の内で呟く。 腹の虫はとうに限界を超えていて渇ききった喉はたった一言すら搾り出せない。どこを目指すでもなく歩き続ける両脚の骨は、一歩踏み出すごとに耳障りな悲鳴を上げた。 (死んでしまう) いつだってすぐ後ろをついて回っていた言葉が今更のように現実味を帯びる。暦の上では真夏だと言うのに、何故だかひどく、ひどく寒かった。 破れた軍服がいけないのだろうか。 それとも穴のあいた靴から水が染みて、身体を冷やしてしまっているのだろうか。 (あぁ、霧が、) この霧のせいなのかもしれない。 水分を過多に含んだ濃い霧は、呼吸すらままならなくさせるのだから。 そんなことをどこか他人事のようにぼんやりと考えた、そのとき不意に。 どさりと、踏み締めている泥へと何かが沈む音が響く。 誰かが荷物でも落としたのかと足を止めるよりも早く、焼き尽くされた森の中、同じような音がいくつも鳴った。 視界がはっきりとしないために黙って指示を待つが、いつまで待っても声はおろか何一つ耳には届かない。静寂ばかりが辺りを支配していて、おもむろに左右を見渡した。 何も見えない。 何も聞こえない。 誰も、いないのかもしれない。 力強く、そして時には弱々しく、徴兵されてから目が回るほどの長い間を過ごしてきた上官や同輩たちは、自分を残してどこかへ逝ってしまったのか。 もう誰も自分の手を取ってはくれないのかと、そう思った瞬間どうしようもない寂しさが込み上げた。 どうにも動かせない膝を着いて、ぬかるんだ地面へと上体を投げ出す。開いているかどうか怪しい瞼を伏せて、伏せる動作をしたつもりで、視界を覆い尽くす暗い闇を模索した。 (誰か) 縋る思いで探す。 看取ってくれる肉親や友人などどこにもいない。 恨みの篭った敵兵の顔ばかりが浮かんでは消えていく。 此処は寒くて恐ろしくて、そしてきっとどんな場所よりも寂しい土地だ。 段々と、閉じた瞼の裏に浮かぶ暗闇ですら薄れて出した。 目前にした死は考えていたよりもずっと恐ろしくはなかったが、こんな遣り切れない寂しさがあることなど誰も教えてはくれなかった。 (さみしい) このままでは死んでしまいそうだ。 死んでしまいそうだと、何度も何度も繰り返し思った。 「××」 誰かが呼ぶ。 「××。………××、」 耳に馴染む声だ。 先に逝った同輩が迎えにきてくれたのか。 ようやく光が差した気がした。 とうに感覚などない指先から、優しい熱が伝わる。 (俺もたいした臆病者だ) 晴れた闇に安堵して、小さく笑った。 もう寂しくはない。 fin. |
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