誰にも言えない恋でした。 誰にも秘密な、恋でした。 乱れた髪を器用な指に結い上げられながら、ぼんやりと月見窓から空を覗く。 白んできた青に舞う、櫻の薄紅が酷く幻想的だ。 こんな明け方に起きているのはこの城中を探しても、慶次と久秀と、見張りの門兵くらいだろう。 静まり返った城内。 静かな部屋。 鼓膜に届くのは、胡座を掻いた慶次の背後から響く、僅かな衣擦れの音だけで。 (あぁ、なんだか) 「世界から切り離されたみたい」 「…何がだね」 ぽつりと考えた事がどうやら外に出ていたらしい。一瞬遅れて返った返事に、あれ、と間の抜けた声を返してしまった。 「聞こえてた?」 尋ねるついで、顔だけを振り向かせようとするけれど、それが全く叶わない内に両耳下を包まれてまた窓へ視線が戻る。温かい指先が心地良かったので、逆らわず素直に空を見た。 「じっとしていたまえ。聞き逃した方が良かったのかね?」 「別に、」 そういうわけでは、無いのだけれど。 他に誰もおらず、誰の声も無い。窓の外は鳥すら見当たらずにただ櫻が舞うばかり。 ただそれだけで世界には二人しか存在しないような、ここが二人だけの世界のような気がした。 そんな事を一々説明したらきっと、また子供だと笑われるだろう。彼の笑う姿はとても好きだけれど、なんとなく今は笑われたくなくて慶次は沈黙する。幸い久秀はそれ以上深く問いを重ねなかった。 窓の外、はらはらと櫻が舞う。 ゆっくりと昇る朝陽。 今日も晴れだななんて頭の隅で思う。 お互いに何も喋らずにいる内に、出来たぞと毛先を指先で梳かれた。 胸元に散った長い髪。 何気なく伸ばした右手は高く結い上げられた先に気に入っている飾り羽根に触れて、意識せずに笑みが漏れる。 「へへ。ありがと」 「全く君は、自分の髪も満足に結えないのだからこんな風に長くせずに切ってしまえ」 「やだよ、松永さんにやってもらうのが好きなんだ」 「いつも結ってやれる訳では無いだろう」 「いつも結ってもらえたらいいのにね」 そう言いながら身体ごと振り返ると、久秀は少し、ほんの少しだけ眉を顰めた。けれどそれも束の間、仕方のない子だと漏らした溜息に、すぐにいつもの意地の悪い笑みに戻る。 「君は本当に甘えた子供だな。そういう言葉は相手を選ばないと通じないぞ」 (松永さんにしか言わないよ) そう思ったけれど、口に出す代わりに目の前の肩に額を寄せた。 少しだけ体重を預けると、常ならば重たいと邪険にされるのに珍しく背中に両腕が回り抱き締められる。 鼻先を擽るのは、最早慣れ親しんだ香り。 布越しに伝わる温もりが酷く心地良い。 「…あったかい…」 散々交わした熱はとうに冷めてしまっていて、慶次は暖を取るように身を擦り寄せた。春だというのに今朝は随分と冷える気がする。 「松永さん」 「何だね」 「松永さん」 「話す気が無いのなら呼ぶのを止めたまえ」 「…松永さん」 顔を伏せたままただ繰り返し呼ぶ声に、久秀が呆れた溜息を逃がす。 それでも身体を押しやられない事が嬉しくて、結い上げた髪を崩さぬように後頭部を撫でる掌が優しくて、慶次は何度も何度も久秀を呼んだ。 「慶次」 何度目かの呼び掛けの後、名前を呼ばれて顔を上げる。 髪を撫でていた掌が顔に触れたから、そこへ一度、頬を擦り寄せた。 「…慶次、時間切れだ」 (あぁ) 世界から、切り離されてしまえば良いのに。 陽が落ち始めた空は滲むような橙で、小鳥が視界を遮ってどこかへ羽ばたいていく。 木々は一様に茶を彩っている中、あの櫻だけが何故か、春が過ぎ夏が終わり秋を迎えた今でも、紅の衣をその身に纏っていた。 「久しぶり、松永さん」 はらはらと櫻が舞う。 あの肌寒い春の日と同じ、辺りには誰もおらず何の声も無い。 「なかなか逢いに来れなくてごめんね」 崩れた城の瓦礫の前、土の上に腰を下ろして櫻を見上げた。 あの日よりも随分と深い紅色は最早朱と言っても可笑しくは無くて。 ぼんやりと大勢の血を吸ってしまったからかななんて思う。 「…ねぇ、松永さん」 彼が秘密の恋をしようだなんて言ったから、慶次はいつだって皆に隠れて逢いに来るしかない。久秀には妻がいて子供がいて、慶次は家督を継いでいないとは雖も曲がりなりにも前田の人間であるから、それは仕方の無い事なのだけれど。 本当は誰より早く逢いに来て、最期くらい一日中傍に置いて欲しかった。 「本当は髪結えるんだよ、俺」 久秀があまりにも優しく結ってくれるから、ずっと黙っていた些細な秘密。 お互いの事など名前と顔と温もりくらいしか知らなくて、誰にも話せなくて見つかってはならなくて、逢うのは決まって夜が更けてから陽が昇る前までの、彼が始めた秘密ばかりの恋。 だけど。 「知ってたよね。松永さんだもん」 跡形も無く崩れた天守閣へ顔を向けて笑った。途端にじわりと視界が歪む。 「知ってて置いてくなんて、つめたい」 誰に尋ねる訳にもいかない慶次は、久秀の眠る場所すらわからないというのに。 「…松永さん、」 瓦礫に伏して呼べば吹く、一陣の風。 「松永さん」 朱色の花びらが慶次を抱き締めるように舞い落ちる。 「待っててね」 いつかまた、逢いにいくまで。 流石にその時ばかりは、誰にも見つからぬようには出来ないけれど。 散った花びらを土や瓦礫ごと胸に抱き締めれば、それがなんだか温かい気がして、慶次は笑った。 秘密の恋をしています。 誰にも言えない、恋を。 fin. |
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