「高杉が死んだ」 くわえた煙草に火を点けようと、ライターを鳴らしながらまるで天気でも語るように淡々と伝えた。 途端に、今の今まで上機嫌にパフェにかぶりついていた目の前の男が動きを止める。 瞬きも呼吸も、一切の動きを止めて、真意を探るかに土方の顔を見詰める。 けれどそれはほんの一瞬の事で、男はすぐに視線を落とし、そうかとだけ言った。 半分以上残ったパフェの続きは食べずに、スプーンを置いておもむろに腰を上げる。感情の見えない、静かな動作だった。 「…ごちそうさん」 またな、土方。 それだけ残して店から出て行く背中に、どこに行くんだとは聞かない。聞けない。 ただ、なかなか火の点かないライターに苛立って、一度、舌打ちをした。 最も要注意人物である高杉晋介と銀時が、どうやら知り合いらしい事は随分前から分かっていた。 否、知り合いなどという生易しいものではない。攘夷戦争時代の、戦友だ。 いつ終わると知れぬ緊迫した戦場で、互いに背を預け戦った仲だという。生半可な繋がりでは無いのは想像に容易く、また、高杉が銀時へのみ見せる尋常で無い執着も、土方はすぐに気が付いた。もしかしたらそれは、同じ人間を愛する者同士の、つまらない直感というものかもしれない。 その頃には土方と銀時は少なからず情を交わす仲になっていて、過激派のテロリストという肩書きを除いても、己の知らぬ銀時を知る高杉は酷く邪魔で、煩わしい存在だった。それでも真っ直ぐに銀時を愛してこれたのは、他でも無い、銀時自身がただの一度も迷いを見せなかったからだ。 高杉と対面し、言葉を交わしても。 深い傷を負い、もう一人の戦友の行方が知れなくなった時も。 いついかなる時でも銀時は一切迷わず、己の信条を貫いて見せた。だからこそ土方は銀時に高杉の事を問いただしたりはしなかったし、また、昔の話も聞かなかった。 けして気にならないわけでは無かったが、気にする必要がなかったのだ。銀時の、態度からして。 だがそれは間違いだったのかもしれない。あまりにも普段と変わらぬその言動こそを、訝しむべきだったのか。 などと様々な考えが脳裏を過ぎっては消えていくが、時既に遅し。 (くだらねぇ) 下らないと、己の思考を省みながら、土方は戻った屯所の自室で紫煙をくゆらせた。 高杉は死んだのだ。 己のこの手が、握り締めた刀が、その急所を貫いた。 それを後悔などしていないしするわけがなく、最も厄介なテロリストを片付けたとあればそれこそ真撰組どころか国をあげてのどんちゃん騒ぎなのだが。 実際、離れた道場から聞こえる宴の声は一向に止む気配はない。正式発表は明日だというから、陽が昇れば忙しくなるのだろう。 けれどどうにも気が晴れぬ土方は一度も祝宴に顔を出しておらず、先程まで山崎がしつこく誘いに来ていたが今はそれもなくなった。 高杉を討ったいわば主役としても、そして命を賭して戦ってきた隊員を労うべき副長としても、酒を呑み談笑する気分には程遠い。かといって眠る事もままならず、煙草を吸っては消してを繰り返す。 ―――鬼兵隊の壊滅。 これで暫くは、過激な攘夷志士たちも影を潜めるだろう。それは紛れもない成果であったが、けれど同時に、信念を共にしてきた仲間が大勢命を落としたのも事実だった。 その犠牲の上でようやく成した高杉の討伐。 思い出そうとせずともいとも簡単に巡る生々しい記憶。 討った瞬間こそ、土方は声を上げた。思わずの、咄嗟に出た雄叫びだった。 それにより盛り上がる隊員たちを尻目に、崩れ落ちていく男が見せた表情により、高揚は一気に冷えて背筋を駆け上がる。 高杉は笑っていた。 そしてそれは目の前の自分に向けられたものではなかった。 常の世の中全てを見下した、憎悪と狂気しか感じさせぬ笑みとは違う。死を間際にした人間にはひどく不釣り合いな、何とも言い難い静かな微笑みだった。 土方へ伸びたその指先に、見えていたのは誰なのか。 声を失った唇が微かに紡いだ名は、誰のものか。 それ程の執着を―――愛情を、ひたすらに向けられている相手の顔が浮かび、そこにきて初めて土方は動揺した。 高杉の死を知ったら、あの男はきっと。 「……ッチ、」 その時からずっと頭から離れない思考を断ち切るように、舌打ちとともに短くなった煙草を灰皿へ押し付ける。 隊服ではなく私服の着流しで、寛ぐというにはだいぶ硬い面持ちで、開け放った障子の向こうに輝く丸い月を眺めた。 眺めようとした。 「―――銀時、」 「盛り上がってんなァ、向こう」 いつの間に入り込んだのだろう。 ほんの今まで心に思っていた男が、ごく自然に、庭先に佇んでいた。 道場を顎で示しながら小さく笑う。不意をつかれ固まったままの土方を見れば、なんて顔してるんだよとまた笑った。 「いや、だってお前、」 今日の今日で、まさか来るとは思っていなかったのだ。何故かと聞かれたら上手く答えられはしないが、今日は来ないだろうと。 「土方」 戸惑う土方をよそに、縁側からやや離れたその場所で、銀時が静かな声で言う。 月明かりが照らす顔は、常よりも白い。 「土方、ちょっと行って来るわ」 その手に大切そうに抱かれた、あの男には似合わない真っ白い包みが視界に入る。 それが墓の場所が決まらぬ大罪人の、成れの果て。 「……そうか」 要領を得ない銀時の言葉に、土方は短く答えた。 迎えに、来たのか。 銀時の穏やかな笑みに、そう、知った。 「帰って来るんだろうな、ちゃんと」 だからこそ新しい煙草に火を滲ませながらわざと尊大に問うと、銀時は一瞬目を瞬かせ、ぎこちなく笑った。 大事な場面に限って己を押し隠す事が得意な男が初めて見せた、心臓を抉られるようなひどく不器用な笑みだった。 「……何も……」 何も聞かないまま行くのかと口にしそうになって、止める。 これ以上高杉に譲歩してやる必要はない。代わりに月明かりに白煙をのぼらせて、全ての想いや願いを込めて呟く。 「待っててやる」 あえて顔は見ずに、土方は繰り返した。 「待っててやるから」 帰って来いよ、と。 空気の微かな振動を感じる。 銀時は、泣いていたのかもしれない。 それが物言わぬ箱となった高杉の為なのか、置いていく土方たちの為のものなのか、知る術を失った頃に顔を上げた。 そこには緩やかな夜が広がり、まるで最初から誰の訪問も無かったかのように静まり返っていて。 うんともああとも言わぬまま、来た時と同じように、銀時は静かに姿を消していた。 高杉の遺骨とともに銀髪の男が消えたと報告を受けたのは、翌日の事だ。 真っ先に殴り込みに来るだろうチャイナや眼鏡の姿を想像すると、全てを押し付けて行った男を憎いとすら思える。 とりあえずは慌てふためく近藤を宥め、そう間も置かずにやってくるだろう沖田の八つ当たりから身を守るべく廊下に出た土方は、晴れた空を見上げ、ひとり、笑った。 fin. |
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