*星屑工房 〜 道端に落ちていた星の行方 〜


深夜の住宅街は静かで、男はいつも通りの道を、いつもより少し遅れて歩いていた。
今日は ―――― もう昨日というべき時間帯だが ―――― 課長の機嫌が酷く悪くて散々だった。一度決まったプランを突然取り消しだと言い出し、新しく練った企画には問答無用で駄目だしをする。男も男の部下たちもいい加減煮詰まってきた頃になってようやくGOサインが出たけれど、ほっとしたのも束の間で、今度はそのプランに見合ったスケジュールを組むのに四苦八苦し、気が付けば終電にぎりぎりで間に合う時間になっていた。
待っているのは冷め切った夕食と長く連れ添っている妻の寝顔、そしてちょうど反抗期に入った息子の露骨な無視だ。家路を急ぐ必要のない男は若い部下たちを先に帰らせて、どうにか仕事を終えたときにはやはり電車はなく、仕方なしに近所までタクシーを使い、入り組んだ住宅街は歩くことにした。深夜のエンジン音は予想以上に響くものだ。


歩き始めて数分も経たないうちに、男はふと足を止め、目を庇うように腕を持ち上げた。
男がいる位置から数えて3つ向こうの壊れた街灯の下、細い路地の真ん中で何かが光っている。
それほど大きくはないのかもしれなかったが、白くて淡い光りは眩しいくらいだった。
気にならなかったわけではない。
けれど男は、恰もそこには何もないかのように、相変わらず目を庇ったまま、視線をまっすぐに据えて通り過ぎようとした。
なんだろうという好奇心よりも余計な揉め事はたくさんだと思う方が遥かに勝っていたからだ。
同じようなことを同じように繰り返す些細な日常は、それでも男がようやく掴んだものだった。
平穏で、退屈で、いつも何かが欠けているような、そんな生活。 多分、幸せなのだと思う。


「………なんだ?」
不意に感じた違和感に、男は声を漏らした。
靴の裏を伝う感触は、アスファルトのそれではなかった。
閉じるつもりは微塵もなかったのに、いつの間にか閉じていた瞼を持ち上げる。そして目の前に広がる景色に言葉を失った。
「………」
いつも通りの見慣れた家々はなく、そこにはただ田畑があった。
男はその間を通っている舗装されていない道の上にいて、ちかちかと点いたり消えたりを繰り返す古ぼけた街灯だけが傍にある。随分と帰っていない故郷を思い出した。鞄を持っていたはずの手には、いつの間にか、先刻見たあの小さな光りを抱えている。近くで見るとそれほどきつい輝きではなく、目を庇う必要もなかった。
(あぁ、夢を、)
夢を見ているのだろうか。
(そうか)
そうに違いないと思った。
だとしたら自分は、ちゃんと家で眠っているのか。
まさか道端で電柱に抱きついたりはしていないだろうと、どうも曖昧な記憶を辿る。
「………駄目だ」
どんなに考えても思い出せない。
男は深く溜息を吐き、足を動かした。
このままぼうっとしていても仕方ないから、少し、この一風変わった夢の世界を歩くことにした。
そういえば夢を見るのも久しぶりだったと、ふと思い出す。


『星屑工房』
木製の看板にはそう書かれていた。
黒墨の文字は中々達筆で、堂々としている。
男はようやく見つけたその工房の前に佇み、戸を叩くのを躊躇っていた。
夢を見ることが久しぶりな男には、足から伝わる土や砂利の触感や、鼻につく草の匂い、見上げた先の目に鮮やかな星空などの、妙にリアルな五感が少し気味悪く思えた。
(いや、どうせ夢だろう)
夢にだって色々と種類があるに違いないと思って戸に手を伸ばす。が、指先が触れるよりも少し早く、木戸は自ら男の前に道を開いた。
予想に反して滑らかに開いた戸を凝視する。
どう見ても自動には見えないが、何か仕掛けでもあるのだろうかと半ば真剣に考えた。
「お待ちしておりました、キタハラ様」
奥から声が掛かって、男はつい姿勢を正す。仕事でついた癖は夢の中にまで出るものなのかと、少し可笑しくなった。
「あぁ、良かった。そのかけらがなかったら、星がひとつ足りなくなるところでした」
心底安堵したようにそう言いながら男の前に姿を現したのは、比喩でもなんでもなく、間違いなくうさぎだった。
(うさぎは、確か喋らなかったはずだが……)
夢とは意味がわからない。
男は一瞬前の笑みを呑み込み、自分の腰ほどの大きさのうさぎを見下ろす。体長約120センチといったところだろうか。おまけに二足歩行だった。
うさぎは長い耳が地面につきそうになるほど深く頭を下げ、呆然としている男を中に招く。
「さぁ、どうぞ。お入りになってください。みんな、あなたを待っていたんですから」
「………皆?」
どうも嫌な予感がした。
早く目を覚まそうと思うのに、それが出来ない。
「はい、みんなです」
笑顔(多分)で促された暖かい工房の中は、服を着た二足歩行のうさぎだらけだった。


「それは?」
肉球のある手でどうやったらそんなに器用に捏ねられるのだろうと、男は感心しながら隣にいたうさぎに聞いた。いつまでも続く馬鹿げた夢にどうも自棄になっているようだと、客観的に思う。
青いベストが似合っているうさぎは一度手を止めて男を見ると、再度きらきらと輝いている粘土に向かう。
「これは、お星さまです」
「星?」
「はい」
男はここに来たときに見上げた空の、輝く星たちを思い出す。
「空にある、あの星?」
確かめるように問うと、うさぎはまた手を止めた。
男の手の中にある白い光りを見て、はいと頷く。
「飛ぶのか?」
作業を開始したうさぎに、男はさらに質問をした。迷惑かとも思ったが、今度は疼く好奇心の方が勝った。
「えぇ、それはもう。お星さまですから」
嫌な顔ひとつせずに、うさぎが機嫌良く答える。
「それじゃ、光るのか?」
「えぇ、それはもう。お星さまですから」
青ベストのうさぎは繰り返す。
「まさか食べられはしないだろう?」
「クッキーですから、食べられますよ」
「………」
クッキーなのか。
星なのか。
一枚食べてみますかと聞かれて甘いものは苦手なんだと断った。まるで小麦粉を練っているように見えたから言ってみただけなのにと、男は暫らく沈黙する。
そうしているうちに、最初に会ったうさぎが戻って来た。
同じようなうさぎたちの中で、唯一服を着ていないからすぐにわかる。
うさぎは男の前に歩み寄ると、半分に欠けた発光体を差し出した。
「………これは?」
「明日、飛ばす予定の星です。一昨日のお勤めのときに、カラスに突付かれて半分失くしてしまい、残った半分でここに戻ってきた星です」
カラス云々の件は流しながら、男はやっとうさぎの言いたいことがわかった気がした。
手の中にある発光体を見せて、
「これが、失くした半分なんだな」
確認するように言うと、うさぎは大きく頷いた。
「返して、いただけますか?」
「返すも返さないも、元々俺のものじゃない」
男は肩を竦めて、拾うつもりもなかったんだと言い訳めいたことを呟いた。
「良かった。助かります。今は材料が少なくて、代わりの星を作るだけの余裕がないんです」
うさぎは安堵したように、ゆっくりと男の手の中にある欠片を取った。そして持っていた半分と合わせる。それはぴたりとくっついて、男が物心ついたときからぼんやりと思っている星の形になった。
手の中に光りがなくなった途端、胸に穴が空いたように空虚な気持ちになる。
持っていて特別何かを感じたというわけではないのに、何か物足りない気がした。
「良かった、ぴったりだ。これで明日もちゃんと飛べる」
うさぎが言った。
声がどこか遠くに聞こえた。
それは飛ぶのか。
男は尋ねる。
えぇ、もう大丈夫です、カラスも飛んで来られないほど、高く飛べるはずです。
うさぎが答える。
そうか。
男は呟いて、瞼を閉じた。
キタハラさん、
うさぎが呼ぶ。
キタハラさん、星っていうのは、ひとつひとつ誰かの夢なんですよ。
忘れないでください。
これはね、この星はあなたの ―――― 。


「―――― 長、北原部長!」
聞きなれた部下の声にはっと目を覚ました。
まず視界に飛び込んできたのは、片道1時間かけて通っているオフィスの天井で、それから心配そうに眉を寄せている松山の顔だ。二足歩行で日本語を話すうさぎたちはどこにもいない。どうやら帰路に着く着かない以前に、仕事中に居眠りをしてしまったらしかった。
「………なんだ、松山?」
「なんだじゃないですよ!奥さんからまだ帰って来ないとかいう電話あって、俺、慌てて会社来たら部長は暢気に寝てるし!」
すっげ心配したんですからね怒鳴る声は半分涙混じりで、それは悪かったと適当に返しながらぼんやりと身体を起こし、腕時計に視線を落とす。
松山は始発で来たのだろう。
振り返った窓の向こうで、ゆっくりと太陽が昇っていた。
「部長、聞いてますかっ!?」
耳元での大音量は、寝ぼけた頭には少し辛い。
北原は松山の肩を押して、机に放ってあった眼鏡をかけた。
「………おかしな夢を見た」
ぽつりと呟くと、松山は言葉を切って、近くにあった椅子を引っ張ってきて座る。
「どんな夢だったんですか?」
好奇心剥き出しの若い部下を、北原は少し羨ましく思った。
そして好ましいとも思った。
(妻は、帰りを待っていてくれたのか)
そして中々帰らない夫を案じて(浮気や何かを心配したのかもしれなかったが)、松山の家に電話をかけたのか。
そんなことはもうないと思っていた。
思って、いつの間にかそんなものなんだろうと諦めていた自分に気づく。
(そうか、)
そうかと思った。
星を失って空いた穴は、少し塞がったような気がした。
夢の中のうさぎが言いたかったのは、もしかしたらこういうことなのかもしれない。
あの欠けた星が、きちんと空を飾ればいいと思った。
「うさぎがな、クッキーの星を作ってるんだ」
北原は口許を覆い、喉を鳴らして笑った。


fin.

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