旬 − イマドキ −
*Pain


――― このいたみを、おまえはしらない。


激戦地、沖縄。
本土からこの死地へ赴いてから、一体幾日が過ぎたのだろう。手に持たされた無線ラジオでどうにか日付けを確認出来た日々が、もう随分と昔の事の様に思える。
毎日のように空襲の警報が鳴り響く。
見上げた空をいく戦闘機は敵国のものばかりだ。
元は草木が生い茂っていたのだろう土地でもその大抵が焼け野原となった今では、一度下手な平地へ出てしまえば身を隠し得る林を探し出す事すらままならない。ともなれば、殉死を本望としない風変わりな中尉が率いるこの部隊の行く道は自然と山道ばかりとなり、食糧の調達も満足にいかない現状では隊員達の体力も日増しに減っていた。
今夜の月を見る前に銃弾に胸を貫かれるかもしれない、なんとか今日を生き延びたとしても明日の太陽は見られないかもしれない。
勝ち戦では、決して無いのだ。
死ばかりが一歩先に留まり、亡者達が手招いている。
『日付けを確認しておかなかったら、俺達の生還記念日にパーティが開けないじゃないか』
付きっ切りの看病に当たる相模へすかさずそう返したのは、部下を庇って銃弾を掠めた中尉殿だった。
幸い弾筋が逸れて米神を掠めただけで済んだ。それでも、こんな状況ではいつ細菌が入るかも判らないと言って手持ちの包帯で処置をしようとする衛生班の科野を追いやり、朝の日課となっている日付け確認の為にラジオをつけた。その上官の姿に思わず相模が零したのが、先の愚痴ともつかない日付けの無意味さである。
松原は耳障りな雑音を交えたラジオの、国営放送のアナウンサーの声から日付けを確認し終えると満足気にスイッチを切った。そして、それがごく当たり前のことであるかのように宣ったのだ。
(生還記念パーティ?)
胸の内で反芻した単語に眉が寄ったのは、相模が狭量な為ではないだろう。
「……なんだ、その顔は」
「いえ。死に掛けた癖によく言いますね、と」
酷くは無いが多少なりとも出血はあったのだから少し寝ていて下さいと、涙ながらに科野が訴えるのにも関わらず隙あらば身を起こして何だかんだと動こうとする上官の肩を、半ば力づくで押しやって布の上に寝かせる。深い岩穴の奥に張ったこのテントには、松原を看る科野と周囲の報告をしに来る友能軍曹、そして付きっ切りでの看病を買って出た自分以外には入って来ない。それを知ってか知らずか、気心の知れた自分達へ松原はその我侭振りを遺憾無く発揮させる。
「誰が死に掛けたんだ、誰が。ただの掠り傷じゃないか」
大袈裟な、と仰向けになったまま恨みがましく見上げてくる双眸に眩暈がした。
いい歳をしてこの男は、弾頭が逸れた偶然でさえ自分の身軽さと動体視力ゆえだとか豪語するつもりなのだろうか。
(……するだろうな、絶対)
容易に想像のつくそれに、心底うんざりする。
その過剰過ぎる自信に振り回される部下達の心労に、少しくらい省みてくれても良いだろうと常々思わざるを得ない相模だ。
「松原中尉、貴方はもっと自分の立場と言うものを弁えるべきだ」
軍人とは思えない程に細い肩から掌を退けて、溜息混じりに呟く。
破天荒とも言えるその言動とは裏腹に、松原には臨機応変に的確な指揮を執る軍事の才能が備わっていた。
家柄だけが取り柄の尉官では無い。
彼の絶対的な存在感と他を圧倒して止まない統率力を無くしては、激しい銃撃戦にも慣れた大戦の最中で、援軍に頼らずに軍隊としてここまで生き延びる事などなかっただろう。身に染みてそう思うからこそ、彼を失いたくないと慕う気持ちがあるからこその小言だと言うのに当の本人は不満気で、相模は何度目かの溜息を逃がした。
「……もし、貴方が重症だったら、将寛は腹を斬ってましたよ」
「生憎俺は軽症だ」
つまらない冗談を聞いたかのように美眉を顰めた松原は、そう一蹴した。そして表情はそのままに、おもむろに持ち上げた片手で横に腰を下ろしている相模の腹部を辿る。
「それに、おまえに言われたく無い……」
語尾が弱く聞こえたのは、耳の錯覚か。それとも疲れからくるまどろみに、彼が寝息を立て始める寸前だったからか。
布越しとはいえ、そう古くは無い傷をなぞる指から伝わった温もりに、思わずその手首を掴みかけたのとほぼ同時。
華奢で白い指は離れ、相模の腿の上へ落ちた。
一瞬身体を強張らせたのも束の間で、深い眠りに落ちたらしい松原の呼吸にほっと安堵の吐息を漏らす。
弾の威力に脳震盪を起こして気を失っていたこの男は知らない。
誰よりも松原を慕っている上等兵が、間近で崩れていく男を咄嗟に支える事すら出来なかったのを。
(あなたは知らない)
ようやく完治した銃創を見る度、自分を庇ったりするなと叱責するこの男はきっと。
「……昴さん、」
瞼を縁取る睫毛が落とす陰は常よりも濃い。
小振りな頭の脇に片手を着いて、相模は上体を静かに倒した。





fin.





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