*rain


どん、と、
低く、
腹に響く音が、した。


視界が歪む。
雨に体温を奪われて、流れていく鮮血に意識を奪われる。
(あぁ、)
握り締めていた短銃から指を抜くと、落ちた拍子に泥水が跳ねて、目の前に横たわる男の頬を汚した。水を限界まで含んだ袖で拭ってやろうと思ったが、すぐに考え直す。
一向に止む気配の無いどしゃぶりの雨が、何もかも綺麗に流してくれるだろう。
仰向けに地面に面した男の軍服も、以前に開けた風穴とは別に出来た、腹の真新しい銃創も。
滴る赫は、次から次へと染みていく。
(……寒いな)
あまりの寒さに凍えそうだと、やはり穴の開いた男の腹の上に頬を寄せた。
僅かに残る熱にひどく安堵する。
もうこのまま瞑ってしまおうかと目蓋を伏せた時、消えない硝煙の匂いを漂わせた声が、真後ろでした。
強い腕に無理やりに抱き締められて、仄かな熱すら失った身体が震える。
「良くやった、景山。俺の中で瞑れ」
(和蔵、大佐 ―――)
空虚ろな意識はそこで途切れた。


エリックは米軍の少佐だ。
エリック・ショーン。
数え年で28歳になるこの男の、日本人の祖母に教わったという日本語はひどく巧みであった。
日常会話を交わすことに何ら不自由は感じないし、それどころか景山の知らない小難しい専門用語などが出てきたりする。そしてその意味を尋ねれば、景山が理解に及ぶ類義語を探したり丁寧に細かく説明したりも出来る。
大戦の火種が切られる僅か前に亡くなったというその御婦人は、余程聡明であったのだろう。金にしか興味を示さない親族を持った身としては、年長者から学ぶべきものがあったというのはとても羨ましいことだった。
「啓吾、傷が痛みますか?」
ぼんやりと物思いに耽っていたところに声を掛けられ、おもむろに顔を上げれば心配そうな碧眼と目が合う。
いつ見ても深い青だ。
闇のような日本人の漆黒の瞳も美しいとは思うが、空や海に似たその色の方が澄んでいるように感じる。ただ単純に青色が好きなだけなのかもしれない。
肌蹴た綿シャツの下にある大袈裟な真白い布に、躊躇いながらも触れた長い指。
「ようやく、出血が止まりましたね」
するりと、手馴れた仕草で包帯を解いていく。
エリックの専用に宛がわれたのだという広い室内は、以前は旅宿でもしていたのだろうか。戦火に脅かされて尚残る、鼻に馴染んだ畳の香りがなんとも心地よい。
月見窓の傍に背中を預けたままの体勢で、露になった銃創近くへ唇を寄せる頭を抱えた。
「……啓吾」
呼び慣れないであろう日本人の名も、この男の流暢な舌は容易く紡ぐ。
絹糸のような黄金の髪に指を絡ませて、景山は憎むべき敵将校を見下ろした。
「啓吾」
静かに、穏やかに呼びながら、景山より4つばかり年長の、掘りの深い精悍な顔が上ってくる。
吐息が触れ合うほど間近に迫り、けれど流れのまま重ねることはせずにそこで一度躊躇する。毎回の事だ。エリックは赦しを待っている。
「啓吾、キスを」
キスをしても良いですか ―――。
聞き飽きた台詞を最後まで発する事は許さず、代わりに体温を奪うように口吻けた。
静養で筋肉が痩せ衰えた腕で戸惑う両頬を包み、上から見下すようにキスをする。
赦してやっているのだ、話すことを。
口接けることを。
そして無遠慮に、けれども割れ物でも扱うかのように繊細に、景山の身体に触れることを赦してやっている。
「……けい、」
「黙れ」
酸素を求めて離れた後頭部を引き寄せる。
目蓋を伏せ、飢えた獣の如く口内を犯す。
諦めたように肉欲を交わす行為へ集中し始めた男に、景山は安堵した。
これ以上は言葉のひとつすら赦せない。
否、ことばだからこそ。


作戦は順調だ。
エリックが噂通りに甘い男で良かった。
明日の生死を賭けた戦場で、――― 例えそれが瀕死の重傷を負っていたとしても ――― 敵兵への油断と無用な信用は身を滅ぼすのだ。
作戦は順調だ。
「和蔵大佐、明日にでも吉報をお届け致しますよ」
離れた地で待機している上官を思い、呟く。
そこに抜かりは、無い。
ましてや迷いなど。
「必ず」


どんと低く、腹に響くような音が鳴った。
何もかも知っていたのか。
エリックは微笑ったようだった。
突然の雨に濡れた視界は歪み、上手く敵を捉えない。


「―――――」


思考するより半瞬早く、腹部に入った鈍い衝撃。
雨粒が目に入り込んで、景色がひどくぼやけた。


「――― 俺の中で瞑れ。他へなど、」



fin.

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