「――何故連れて来た」 苛立ちを無理矢理に抑え込んだような声は、地を這う程に、低い。 横目に窺った将寛は、その怒りの理由を十二分に理解しているのだろう。だからこそ唇を真一文字に結び、けれど真っ直ぐに相模を見る。 後ろでこちらをちらちらと盗み見ている科野さえも固唾を呑む程の、緊迫した沈黙。 両者とも折れる様子は、まるで無い。 (これでは日が暮れてしまうだろう) 友能は上官に気付かれぬよう、そっと息を逃がす。 二人の言い分はそれぞれ解る。解るが、こうして睨みあっていてはどうしようも無いのだ。 「相模准尉、あの……」 「俺は将寛に訊いているんだ」 こちらを一瞥すらせずに、問答無用で言い放つ。 上官の頑なな態度に友能は再度溜息を漏らした。 相模の後ろにある、急拵えの古いテントの中から響く幼い笑い声。 それが更に上官の眉間に皺を作らせ、将寛の口から非を認める言葉が出るのを阻む。 譲れないもののためならばどこまでも頑固になる男達だ。 あのテントの中から撃鉄を起こす音がし、銃声がひとつ鳴り。 子供の笑い声の代わりに、中尉の澄んだ声が将寛の名前を呼ぶまで。 きっと、この男達はどうにも動けないのだろう。 食糧調達の帰り、将寛と科野が一人の少年を連れて来た。 所々皮膚が焼け爛れているのにも関わらず、痛みを訴えもしない少年だった。 歳の頃は十か、十を過ぎたくらいだろうか。 古びたもんぺと汚れた防災頭巾。 持ち物は役に立っていない穴の開いた水筒だけの、親と逸れてしまった子供。 科野はそう思い、不憫になったのかもしれない。 けれど、将寛は気がついたのだろう。 皮膚を焼かれてもなお、見目麗しくまるで人形のような少年。 そんな少年が一人、他の部隊が先日まで駐屯していた家屋に残っていたという。 助けを求めるわけではない。 腹を減らし泣くわけでもない。 ただ一人、遠く響く銃声を飽きる事無く数えていたというのだ。 (こんな、子供に……) 細い首筋に残る、生々しい情事の痕が吐き気を誘う。 保護すべき子供への、なんという酷い仕打ちだろう。 何よりも恥ずべき行為だ。 この少年を傷つけ蹂躙した軍人達を、片っ端から撃ち抜いてやりたいとすら思う。けれど、そんなことをしたからといってこの哀れな少年の瞳に感情が戻るわけでは無い。 焼けた皮膚には蛆が涌く。 蛆は病を連れて来るものであり、それを治してやる十分な薬などこの戦場ではどこにも無い。 そして何より、心の欠落した子供を民間人に預けたとしても避難する足枷となってしまうだろう。 こういう場合どうしてやる事が最善なのか、前線に立つ軍人であれば誰もが知っている。知っているからこそ皆関わり合うことを避けるのだ。 ましてや、松原のように部下の手を汚させる事を滅法嫌う上に、誰よりも慈悲深く命を尊ぶ男を上官として持った以上、それは暗黙のルールであった筈だ。 それなのに、と思う。 見捨てぬ優しさも分かる。 けれど戦場では、見捨てる優しさも必要なのだ。 「将寛、」 科野が応急の手当てをする間、名前を呼ぶもそれ以上続ける言葉が思いつかず苦虫を噛み潰す。松原がこの子供の存在に気付くより早く自分が手を下すしかない。将寛や科野に、こんな惨い思いをさせたくはなかった。そしてそれは当然、心優しい中尉にも。 友能がそう決めたのとほぼ同時。 「――おいで」 優しい声と、横から静かに伸びた腕。 いつの間にそこにいたのだろう。 松原は何もかも知っている素振りで幼い身体をそっと抱き上げる。その隣で、一昨日から体調の優れぬ上官に寄り添っていた相模が将寛を睨み付けていた。 テントへと遠退く背中を追うことを許さない強さで、真摯に。 「何故、連れて来た」 (痛いな) 誰よりも松原を慕って止まないこの男ならば、少年をその場で射殺したに違いない。 質素な墓の前、声を抑え泣く将寛の肩を抱きながら、友能はこの醜い争いが早く終わることを願う。 心優しい人間がこんなにも傷つかなければ手に入らない勝利ならば、それが正義だと言うのならば、そんなものはいらない。 血で血を洗う戦は人々の心を病ませ、ただ悪戯に傷を拡げるばかりだ。 だからどうか、早く。 一刻も早く。 相模の前でだけでも良い。 自分達の事ばかり案じて止まない中尉に、泣ける日がくるように。 fin. |
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