「か、課長……!?」 久しぶりに友人たちと飲み交わした夜、ほろ酔い気分で帰路についていた立待は、その途中に勤め先の上司を見つけて目を疑った。 酒に誘っても乗って来ない、休日のレジャーに誘っても興味がないの一点張りで、遊び好きな社内では完全に浮いている藤沢課長が、よりにもよって郵便ポストに抱きついて眠っていのだ。エイリアンが襲撃してくるくらい有り得ない状況に、どうしたらいいのかと暫く混乱する。 「………ん〜……ヒグラシの馬鹿やろー…」 (え、えぇえええっ!?課長が寝言!?) 思わず心の中で絶叫した。 万が一にも声が洩れないようにと、手で咄嗟に口を覆う。 いつもいつもいつも、まるで貼り付けたような能面顔だから、寝言を言うなんて全然思わなかった。というよりも、想像出来なかったと言った方が正しいか。 どうやらしこたま飲んでいるらしい藤沢は一向に目を覚ます気配もなく、かといって起こすのも憚られ、立待は悶々と頭を抱える。 (なんでよりにもよって俺んちの近く?!) 駅前ならば親切な駅員に押し付けて帰れるが、こんな人ひとりいない裏路地では手を貸してくれる人間なんていない。 「……んで……」 ふと。 藤沢の声の質が変わり。 え、と思って顔を上げたのと同じタイミングで、藤沢の身体はバランスを崩した。 (ぅ、わぁっ) 間一髪で倒れこむ男を腕に抱え込み、急に乗っかった重さにかなりよろめきながらもどうにか踏ん張る。 考えるよりも早く、条件反射で動けた自分に拍手を送りたい。 そして思いのほか腕力があったらしい自分にも、拍手を送りたい。 眠っている人間というのは無防備で、それゆえに全体重を遠慮なしに預けてくるのだから頭で考えるよりも随分と重たいものだ。それがうら若き少女だとか綺麗な女性だとかならばまた別だが、今腕の中にいるのは紛れもなく男で、しかも立待よりも一回り以上歳上の、いわゆる『オヤジ』の部類に入る(にしては随分とハンサムであったが)体格の良い男で。 平均よりも細身の立待には藤沢を背負って歩くだけの力も根性もなく、何をしても起きそうにない男をいよいよ無視するわけにはいかなくなって、半ば引きずるようにしてアパートに連れて帰ることにした。 プラトニックだった。 少なくとも藤沢はそう思っていた。 互いに捨てられない家庭を持つ身だからこそ、肉体関係のない想いに惹かれたはずだった。 それなのに、だ。 日暮は言った。 我慢できないと。 ―――― 目の前に死ぬほど焦がれている相手がいるというのに、身のうちから溢れるこの衝動を抑えられる男なんかいるだろうか!? 否。 そんな奴ぁ、オトコじゃないね。 日暮は俳優ゆえか、芝居かかった言い回しの好きな男だった。 藤沢はそんな日暮が好きだったが、一線を越えてまで付き合いを維持したいとはどうしても思えなかった。そんなふうに思える相手であれば、藤沢は真っ先に妻との離婚を考えただろう。 だが、日暮はあくまで日暮だった。 ぼんやりとした思考の片隅に浮かぶのは、最後まで俳優魂を捨てなかったかつての恋人の顔だ。 (日暮が、あんなことを言わなければ) そうすれば、穏やかな純愛を続けられたのに。 暖かい毛布を手繰り寄せて、藤沢は何もかも吹っ切るための眠りにつこうとした。 (いや待て毛布!?) 確かな手触りに一瞬で目が覚める。 飛び起きた上半身は裸で、その弾みでぎしりと揺れたベットは見覚えのないものだった。見回した室内に他の人影はなく、脱ぎ散らかした背広や開襟シャツなどで散らかっており、しかも床には堂々と卑猥な雑誌が転がっている。 男の部屋だとしか思えなかった。 藤沢はおそるおそる布団を持ち上げ、スラックスは履いたままだということに僅かばかり安堵する。 酒のせいか、ずきずきと痛む頭を押さえた。 確か自分は、日暮と別れた後行き着けの小さな飲み屋に入って、そこの女将と他愛の無い世間話をして。それから ――― ? (それから、どうしたんだ私は!) どんなに思考をフル回転させても全く思い出せない。 酒を飲んでここまで前後不覚になるなんて、高校の卒業式の晩に悪友と飲み明かして以来だ。それほど日暮との一件が響いているというのだろうか。 (日暮は気のいい男だった・・・って、違う!) 思わず感傷に耽りそうになって慌てて首を振る。今は別れた男のことなんかを考えている場合ではない。口汚い部下たちが能面と酷評するだけはあって表情は一寸たりとも変化しなかったが、その内心はとてつもない嵐にみまわれていた。 そこに。 「あぁ、ようやく起きましたか」 聞きなれた、妙に独特の艶のある声は、藤沢が世界で一番好きな音色。 ベットサイドに歩み寄り、これ俺のなんですけど良かったらなんて、何故かはにかんだ笑顔を浮かべながらよれた開襟シャツを差し出したのは。 柴犬みたいで可愛いとか、そっちの趣味で知られている社長が漏らしていた、あの、 「……………た、立待?」 「はい?」 藤沢は卒倒した。 「………旨い」 低く呟いた声に、じっと顔色を伺っていた立待は飛び上がりそうになった。 眠りかけた藤沢を叩き起こしてまで食べさせた甲斐はあった。 「ホントに?ホントに旨いですかっ?」 「あぁ、本当に旨い」 重ねて尋ねると、今度はちゃんと立待の顔を見て頷く。冷蔵庫に残っていたものをかき集めて作ったオムライスで、料理に特別自信があるわけでもなかったから実は不安だったのだ。あっという間に平らげてくれた藤沢に、嬉しいような、気恥ずかしいような、不思議な気持ちになる。毎日食事の支度をしている母親なら、こんな気持ちもわかってくれるかもしれない。 「私は料理が出来ない男だから、尊敬する」 藤沢は本気で言っているらしく、入っていた具を確認するように呟いている。立待は思わず笑ってしまった。会社で顔をあわせる藤沢とはまるで別人だ。 「そんな、一人身の寂しい男の手料理ですよ?たいしたもんじゃ、あぁ、皿。俺が片付けますから」 ベットから出ようとした手から皿を優しく奪い取ると、何故か、男は硬直した。 「?どうかしましたか、課長?」 顔を覗きこむと、思い切り視線を反らされる。 追いかけて覗き込むと、また逃げる。 挙動不審だ。 どうしたものかと顎に手を当てて考え、とりあえず皿をテーブルに置いた。 ベットの端に腰を掛けると、今度はあからさまに間を取られた。 「課長、藤沢課長?一体どうしたんですか?何か気に障るようなことでもしましたか」 そう尋ねてから辛抱強く待つこと、数分。 「………話してくれないか」 藤沢は地を這うような声で、言った。 「話す?」 立待は首を傾げる。気分はまるで保父さんだ。 どうやら相当切羽詰っているらしい上司がようやく目を合わせたかと思うと、何かに目を止めてまた横を向いた。その視線を辿り、ふと自分の格好を見下ろして、第三釦まで肌蹴た胸元に納得する。 (だらしなかったかな) 藤沢は身なりに気を遣う人間だから、気に障ったのかもしれない。 手際よく釦を留めると、立待は尋ねた。 「話すって、まさか課長があんなことするとは思わなかったとか、課長の重さで死んじゃいそうだったとか、途中で俺もう駄目とか言いかけたとか、そういうことですか?」 「………………」 立待の見る限り、藤沢の表情は一ミリも動かなかったように思えたが。 どうやら酷くショックを受けたらしい男は、口許に手を当てて、そのまま黙り込んでしまった。 (なんだ?) 酔い潰れて部下に介抱されていることが、そんなに気になるのだろうか。 (まぁ、確かに、プライドとかあんのかもしんないけどさ) たまにはそういうことがあってもいいのではないかと思う。会社では見れない上司の姿に、初めは戸惑っていた立待も今では逆に得したようで気分がいい。 だが、そこはやはり個人差があるわけで。 落ち込んでいる藤沢をなんとか慰めようと、立待は笑顔を向けた。 「立待……?」 「藤沢課長、そんなに気にしないでください。俺、誰にも言わな」 「すまなかった!!」 言い終わるより早く、抱き締められた。 (はぃぃぃっ?) これにはさすがの立待も驚いて、驚きながらも後ろへひっくり返らないように腕をつく。 「ちょ、ちょっとどうし、課長、藤沢さんっ?」 「私は未来ある健全な青年になんてことを!こうなったからには妻とも離婚して男として責任をっ……」 「離婚!?なんで!」 一般的に考えて、自分よりも体重のある人間と自分の体重を腕一本で支えるというのは無理な話で。 それでもどうにか、倒れこむ場所を床からベットに調整できたのはまさに火事場の馬鹿力というやつか。 安いパイプベットは男二人の体重に悲鳴を上げた。 それほど強くはないが軽くもない衝撃に、思わず目を閉じた立待の唇を何かが塞ぐ。 (え、?) ゆっくりと、目を開けて。 端整な顔が離れていくのを、まるでスローモーションみたいだとかぼんやりと見送って。 「―――― 結婚しよう」 至極真面目な言葉に思わず頷いてしまったのは、睡魔に鈍ってきた思考と、ほどよく回ってきたアルコールのせいだけではなかったのかもしれない。 fin. |
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